こんにちは。毒親育ち の ぺーたー(@datudokuoya)です。
メモ
- 「産んでもらったことに感謝しろ」
- 「誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ」
- 「誰のおかげで生活できてると思ってるんだ」
- 「誰のおかげで大きくなれたと思っているんだ」
こんな言葉を言われたことはありませんか?私は、何度も言われました。
毒親に感謝できなければしなくていい
そのたびに親に感謝しなきゃと思いこまされてきましたが、大人になるにつれて気がつきました。
感謝できないなら、無理して感謝する必要はありません。感謝は自然としたくなるものだからです。
なので、感謝の気持ちが持てないと苦しむ必要もありません。
今回は、その理由をご説明します。
子供を産むことは親の選択であり責任、育てることは義務
子を産み、育てることは強制徴収される税金とは違います。
なんと言っても「自らの意思」というところが大きな違いですね。
自分たちの意思で子作りして、育てる選択をしたのに感謝や尊敬を強要するのはおかしいという話です。
「教育」は国民の三大義務の一つですし、産んだ以上は育てるのは当たり前です。
※日本国憲法「教育の義務26条2項」
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
つまり、産むことは親の選択であり責任、育てることは義務ということです。
そして、こちらは産んでくれとも育ててくれとも頼んでいません(重要)。
毒親を尊敬できないのは当然なので、罪悪感を抱く必要はありません
親に感謝しなければならないわけではない
仮に「デキてしまっただけ」であったとしても、産まない選択はできます。それに、それは子供には関係がないことです。
育てることが大変なことやお金がかかることくらい、誰だってわかります。
最初からわかっていることなのに、自分たちの意志でそうしたのに
恩着せがましく「育ててやった」だから「感謝しろ」「尊敬しろ」というほうがおかしいのです。
恵まれた環境で育っても感謝できないことはある
「世の中には、今日いきていくのも大変な家庭や、紛争地帯で生活している家庭がある」
そんなことを言われることもあります。
たしかにほとんどの日本人は、そういう方と比べたら幸せな暮らしをしているでしょう。
たしかに衣食住に不自由せず生活できたことは、すばらしいことです。
しかしながら、そのような極端な例と比較されたからといって、感謝する気持ちが芽生えるわけではありません。
それ以外のことで嫌な経験をたくさんしているのに、「恵まれた環境で育ててもらえたことに感謝しろ」と言われても、そうは思えないものです。
不自由しない生活をさせてもらえたからと言って、それで心から感謝したいと思うかどうかは別の話です。
毒親育ちの気持ちは毒親育ちにしかわからない
両親に感謝できないなどと口にすると、他人からは
- 「親に感謝しないとダメだよ」
- 「世界に2人しかいない親なんだから」
などと言われることがあります。
「親だから苦しめられている」ことは、ほぼ理解してもらえません。
毒親に育てられていない方には、毒親育ちの気持ちはわからないのです。
子育ては見返りを求めるものではない
普通の親であれば、子供を育てたいという想いがあります。
その子供に愛情を注ぎたいから、可愛いがって育てていくものです。
これは「自分たちが育てたいから」することであって、誰かに強制されていることではありません。
愛情を注いで育っててやったんだから感謝しろというように、「見返り」を求めることは間違っています。
強制されて「この子供を成人するまで育てろ!」と脅されたなら別ですが、そんなことはまずないでしょう。
親に対する感謝の気持ちはどういう条件で生まれる?
両親の愛情を受けて育ったから、両親の力があったから、私は幸せになれた。
そのように思えるのであれば、自然と感謝の気持ちが芽生えるものです。
感謝や尊敬は、命令されてするようなものではありません。したくなるものです。
大事に育ててもらったり、愛情を感じているのであれば自然と感謝したくなります。
感謝したいと思えないのであれば、そういう育てられ方だったということです。
毒親に感謝していることも少しはある
ちなみに私は、今では毒親に少し感謝しています。
嫌な経験をたくさんしたおかげで、解放された後に幸せを感じられるようになったからです。
まとめ:毒親に感謝する必要はない
結論
感謝はあなたがしたいと思える人にすればいい
感謝したいと思えない相手に感謝する必要はありません。
これは、頭ではなく心で決めることですから、心の声に従えばいいのです。
クローズアップ現代+親を捨ててもいいですか?毒親育ちの感想とまとめ
毒親を許さないほうが楽に生きられる。自分をだまそうとすると苦しくなる理由とは