こんにちは。毒親育ち の ぺーたー(@datudokuoya)です。
今回は
先日いただいたコメントが非常に有益なものだったので、シェアさせていただきます。
毒親が亡くなったときに毒親育ちが感じたこと
以下に原文をそのまま掲載しますね。
メモ
毒親育ち ぺーたーさん初めまして。
近頃夜な夜な行き場のない思いが途切れず、たまたまこちらのブログにたどり着き、「私と同じだな」と思いながら拝読しました。
行き場のない思いというのは、このブログに出てきたようなご両親とそっくりな私の両親が二人とも今年に他界してしまい、この先の人生で私が生きづらい思いをしようとも、それを咎める相手がいなくなってしまったということです。
生きづらいというのは、現在36歳ですが、未だに母親の怒声を夢で聞き泣きながら目覚めたりするような不安定なところがある事です。
両親がいなくなりましたが、私には他のことが手につかなくなるような爆発的な感情も湧いてきませんでした。そんな自分は、寂しい人間だなと思います。
ひとつくらい彼らの元に産まれて良かったと思える事はないのかと考えたところ、私を産んでくれた事だけは感謝しようと思いました。ですから、この命を自らで断つことなく生きていこうと決めました。
私の場合は介護の心配はなくなりましたが、両親に対する負の思いも自分の中で処置しなくてはならなくなったので、これはこれで悩ましいところです。これ以上考えないために、理不尽ながら一つずつ許していくしかないのかと今も悩んでいます。
辛かった36年ですが、自分だけではないとわかり、こちらのブログに出会えて良かったです。
残りの半生は、お互いに自分が主役の輝く時間にしていきましょう。
毒親育ちの方からのコメントを読んだぺーたーの返信
メモ
私の両親とそっくりということなので、毒親という前提で話を進めますね。
まずですが、毒親がいなくなった時に
「他のことが手につかなくなるような爆発的な感情も湧いてきませんでした」
と書いてありますが、今まで受けてきた仕打ちを考えれば当たり前のことだと思います。まして、現在も毒親の怒声で苦しめられているのですから、なおさらです。
一般的に考えれば、喪失感がないのは寂しいことかもしれませんが、毒親育ちは例外だと思います。私としては、「私を産んでくれた事だけは感謝しようと思いました」という点が、素敵なことだと感じました。
私は、毒親のことをボロクソに言っていますが、必死にポジティブに考えてみれば、毒親育ちで良かったと思える部分や、感謝できる部分は見つかると思っています。
このように今も悩んでおられるとのことですが、最後には「残りの半生は、お互いに自分が主役の輝く時間にしていきましょう」と締めくくってくださいました。
毒親にとらわれることなく、前向きに生きて行こうとされているところが良いですね。
毒親がいなくなると、咎める相手がいなくなる
毒親に育てられたせいで、生きづらい。
毒親に育てられたせいで、何かがうまくいかない。
毒親が亡くなると、そういう事態に陥っても責める相手がいなくなるということですね。
私は絶縁したので、自らの怒りや不満をぶつける相手がいなくなる辛さに関しては、考えたことがありませんでした。
毒親との関わりが有る場合は、面と向かって文句を言うことができなくなるということです。
毒親に対する気持ちの矛先はどこへ
私は毒親のことが脳裏に浮かぶだけでイライラするようになったので、絶縁しました。
私のように絶縁すれば、誰でも負の感情から解放されるものだと思っていました。
それぞれの毒親との関係性や、自身の性格による差が大きいところだと思いますが、コメントをいただいたことにより新たな学びになりました。
まとめ
毒親なんて早くいなくなってほしい。
もう一生会いたくない。
そのように思っている方は少なくないでしょう。
私の場合、絶縁して3年ほど経ちましたが、とても穏やかに過ごせています。ふとした瞬間に記憶がよみがえっても、心がざわつくことはありません。
今のところ私の場合は、関わらないほうが平和に暮らせるようです。
しかし実際にいなくなってしまうと、もう面と向かって文句や罵声を浴びせることはできません。過去のことを確認することもできなくなります。
面と向かうことが苦痛でなく、自分にとって少しでもメリットを感じる場合は、いなくなってしまう前に対決しておくことも必要。ということです。
毒親との関わりは大きなストレスを生みかねませんので、心のバランスをとりながら付き合っていけると良いですね。